ランナーボディを目指せ!
ランナー筋トレ
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2015.07.24
夏の甲子園は1915年に第1回大会(名称:全国中等学校優勝野球大会)が開かれてからちょうど今年で100年。これまで輝かしいスターを輩出し、感動のドラマを生んできた舞台の裏側には、数えきれないほどのドラマが隠されている。そこで、数ある甲子園物語のなかから、あまり知られていないけど、胸の熱くなるストーリーを紹介しよう。
「ダルビッシュは高校時代、完調だったことがほとんどなかったんです。それが治ってプロでスゴいピッチャーになった感じです」。そう語るのは、東北高校のエース・ダルビッシュ有の2番手として高校時代を一緒に過ごしたチームメイトの真壁賢守。メガネを掛けたサイドスロー投手だから、愛称は“メガネッシュ”。当時、好不調の波が激しかったダルビッシュを支えた好投手だ。
そんな彼は2004年春の選抜で苦い経験をする。ダルビッシュの代わりに先発した準々決勝、9回裏、6-4でランナー1、2塁、ツーアウトの場面から逆転負けを喫したのだ。音が聞こえないミュート状態。そのときダルビッシュから「ごめんな」と声を掛けられたという。「みっともないほど泣いた」という真壁は、続く夏の大会・県予選では中心選手として甲子園へとチームを導いた。
現在、真壁はホンダ硬式野球部マネージャー兼コーチとして後進の指導にあたっている。ダルビッシュという稀有な才能と過ごした高校の3年間は、成長したふたりに今も続く友情を残してくれた。
(K)
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