マニュアル原本完全復刻。
誉発動機 取扱説明書 完全復刻版
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2015.12.18
40代以上の男性なら、子供の頃スチロール製の手投げ飛行機や、模型飛行機を手にしたことがあるに違いない。アメリカのマスタングと、コルセア、イギリスのスピットファイア、ドイツのメッサーシュミット……と並んで、かならず零戦と隼があったことをご記憶ではないかと思う。
零戦(ゼロ戦)の正式名称は零式艦上戦闘機、帝国海軍の戦闘機だ。皇紀2600年に採用されたからその下2桁を取って零式というわけだ。
対して、隼の正式名称は一式戦闘機。皇紀2601年採用の陸軍の戦闘機だ。
ライバル意識が強かったと言われる海軍と陸軍だけに、零戦と隼がライバル扱いされるのはいたしかかたなかった面もあるかもしれない。いずれも太平洋戦争初期には世界最強の戦闘機のひとつだったといえるだろう。『直線がない』と言われるほどデリケートな曲面で構成され高度な生産技術が必要だった零戦に対して、比較的シンプルなデザインの隼は生産性が高いなどの強みもあった。総生産機数は大戦中の日本軍機の中で零戦に継ぐ5700機以上という。
しかし、大半の機体が大戦中に失われ、さらに敗戦国であった日本の戦闘機は大半が破棄された。原形を保って保存されている機体はわずか5機に過ぎない。
そして、動画と写真の機体は世界で唯一の飛行可能な隼なのだ。
元になったのは千島列島占守島で回収された4機の残骸。占守島には、ご存知のように、1945年8月15日の終戦勅書発布後も侵略を続けるソ連軍に対して戦い続けた兵隊たちがいた。回収された機体はその千島列島の守りについていた飛行第54戦隊の所属機だったと思われる。
とはいえ、半世紀近くも北海の激しい風雨にされされ、わずかに主翼が残存していただけだ。もちろん、エンジンは使えない。
そのため、エンジンは寸法、仕様が近い、P&W R-1830-92ツインワスプをDC-3輸送機から転用。機体は、回収された残骸からの採寸や、図面をたよりにほぼ完全に再現された。つまり、この隼はほぼ『新造機』なのだ。
製造されるのは4機。上の写真は手前が4号機で、奥が2号機。現在飛行しているのは最初の1号機のみだ。4機生産されたうちの4号機は取材時にはまだ買い手がついておらず、「できれば日本人に買ってもらえるとうれしい」と言っていたという。ちなみに隼の販売価格はおよそ150万ドル(約1億8000万円)とのこと。
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