連合軍の“助っ人”戦闘機
カーチスP‐40ウォーホーク
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2018.08.20
軍用機などに興味がある人なら、逆ガル型の主翼が特徴的な『ヴォートF4Uコルセア』を知らない人はいないだろう。
1000馬力前後という出力のエンジンを積んでいたゼロ戦に対して、コルセアは2000馬力という大馬力のエンジンを積んで、大型で重装甲かつ高速! といういかにもアメリカらしい戦闘機。しかし、その大馬力を速度に変換するためには大径のプロペラが必要で、着陸時にプロペラが地面に触れないようにするために、結果として逆ガル型の独特な翼を持つに到った。
この逆ガル型の特徴的な主翼が往年の模型少年や、戦闘機好きには魅力的だったのだが、実はこのコルセア、開発された当初は失敗作と言われていた。
しかし、紆余曲折を経て運用されているうちに、最終的には朝鮮戦争にまで使われるという息の長い飛行機になった。いったい、コルセアはなぜ失敗作と言われたのに、大活躍し、長い間活躍することになったのだろうか?
米陸軍機に対して高速性能で勝てなかった米海軍は、空軍より高速な戦闘機を作ろうと2000馬力級エンジンである空冷星形18気筒R-2800ダブルワスプの搭載を前提にコルセアを開発した。
しかし、開発中の仕様変更で、主翼に12.7mm機銃を左右各3門ずつ搭載することになり、燃料の積み場所が不足し、その結果コクピットが大きく後退することになった。
コクピットが後退したことにより前下方の視界が極めて悪くなり『空母への着艦が極めて難しい艦載機』となってしまった。コルセアは艦載機として開発されたにも関わらず、陸上機として運用されることになった。
艦載機としては、F6Fや、後にはF8Fが使われることになる。
(空母上での専有面積を狭くするために、主翼の折畳み構造持っており、極めて多数を空母に搭載できる)
(折り畳み装置は油圧式となっている)
ところが、これで終わらなかったところが、本機の幸運なのである。
空母に搭載できなかったとはいえ、折しも戦域はミッドウェイでの日本の大敗後、太平洋上からガダルカナルやラバウルなど島嶼地域での戦いとなり、陸上の飛行場から離陸して戦う機会も増えた状況だったのだ。
さらに、その際に現地のメカニックの工夫で爆弾架を装備してみたのが効果を発揮した。もとより大出力エンジンであるから、大量の爆弾を積んでも離陸できる。1000ポンド(約454kg)もの爆弾を積む仕組みは、後に正規の装備品として量産される。
これにより、コルセアは今で言う攻撃機のような役割を担うことになる。
(89度回転しながら後方に収納される主脚。艦載機として作られたので、強度は高かった)
そうなると、大出力エンジンも、しっかりした防弾板も、頑丈な着陸脚も、大火力も、すべてが役に立つことになる。
かくしてF4Uコルセアは、シリーズトータルで1万2581機が作られる大ヒット作となったのである。
その攻撃機としての資質はジェット戦闘機の時代が到来した第二次世界大戦後にも活かされ、純粋な戦闘機がジェット機に代替わりしたあとも、質実剛健な攻撃機として朝鮮戦争などでも活躍している。
(ガル翼のせいで3分割となっているフラップ。通常はデリケートなものだが、コルセアのフラップは昇降用のステップを兼ねられるほど丈夫だった)
当初はいろいろな理由で低評価だったプロダクトも、状況に合わせて工夫を施すことで思わぬ活躍の場が出てくることもある。上手く成果が出せなかったりしても、当初のプランに固執せずに考え方を変え、状況に合わせて工夫することで、思わぬ活躍の場が開けるかもしれない。
F4Uコルセアは、そんなことを教えてくれる飛行機なのである。
(出典:『F4Uコルセア』)
(村上タクタ)
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