2015.05.20
ツウぶるなら“天守より石垣”!? つい披露したくなる城鑑賞のツボ
城ツウか観光客か? 「どこから見るか」でバレてます。
観光地で訪れることも多いお城。ついつい天守閣などの目立つ部分を見上げて圧倒されてしまうが、実はツウが見るのはもっと“低い”ところ。
今回は数ある城の鑑賞ポイントの中から、ツウがすすめる城鑑賞ポイントをご紹介。たとえば城デートで、君が熱く語れば彼女もきっと惚れ直すはず。……たぶん。
城に来たらまず“石垣”を見よ
お城とは、もとはと言えば武将たちが戦のためにつくった建造物。なので、お城には身を守るためのお堀や、城に侵入してきた敵を攻撃するための工夫があちこちに仕掛けられている。
そして、お城のうちでも注目すべきなのが“石垣”だ。天守は江戸時代に再建されたもので、石垣は戦国時代、なんてことがよくある。その石垣自体も、実は積み方や加工レベルで大まかに年代を分類することができる。ひとつの城の中に、複数の年代によって築かれた石垣が共存していることもめずらしくない。
わかりやすい例をひとつ紹介しよう。下記は、琵琶湖を背にそびえる彦根城の天秤櫓(てんびんやぐら)の写真。一見、天守やひこにゃんに意識がいきがちだが……
左右対象に近いその形が天秤に似ていることからこの名で呼ばれる天秤櫓だが、注目してほしいのは左右の石垣部分。なんと、右と左で積み方が異なっているのだ。
右側は「野面積み」といい、石をそのまま積む方法。隙間の小さな石は小詰や合石などという。隙間が排水口の役割を果たすので、耐久性も高かった。
【野面積み】
対する左側は「切込み接(は)ぎ」。石の角などを叩き、隙間を減らして積む方法だ。野面積みよりも安定するため、石垣を高く積むことが可能になった。
【切込み接(は)ぎ】
こちらの写真を見れば、その差は歴然。石の色味が変わっていることからも、年代が異なることが一目でわかる。
さらに年代を経ると、より断面が整えられた「打ち込み接(は)ぎ」という石垣が現れる。石を四角くしてから積むため見た目には美しいが、実際には隙間がないため排水口を設けなければならず、強度に劣るという短所があった。が、その荘厳な姿は藩主の権威を誇示するのにうってつけだった。
【打ち込み接(は)ぎ】
このように城の石垣が変遷を遂げてきたのには、技術の進歩以上に、世の中が平和になったということが大きい。平和になることで防御という本来の意味が薄れ、城が権力の象徴となったのだ。こうして武将は、自らの力を示すために城の美しさを競うようになった。
同じように見える城の石垣にも、実はそんなエピソードが隠れている。天守閣を見るだけが城ではない。目立たない足元にこそ、面白さがあるのだ。たとえ彼女に引かれようが構わない。そんな思い切った強靭なメンタルと知識を、いつでも披露できるようにしておきたいものである。
(ヨシザワ)
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