ツーリングカーの時代。
TAMIYA ヴィンテージRCカー ミュージアム 2
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2017.06.29
ホビーのひとつとして愛好者も多いラジコン(RC)カー。本格的なレースでは世界選手権も開催される「小さなモータースポーツ」の世界で、“レジェンド”と称され、世界中のRCユーザーから尊敬を集めている日本人がいる。
広坂正美、47歳。1978年に7歳でRCカーレース初優勝以来、2009年39歳での現役引退までの通算勝利数は307勝。これには大きな公式大会であるIFMAR世界選手権14勝、JMRCA全日本選手権52勝が含まれる。
RCカーの世界選手権は、種目ごとに2年に1度開催される。世界戦14勝を一般的に例えれば、「夏冬のオリンピックで金メダル合計14個」というのが分かりやすい。1987年から2005年まで18年間連続タイトル保持記録も含め、現在もRCレース界で世界歴代1位の数字として残っている。2017年6月現在、現役選手最多勝が5勝だから、14勝がいかに突出した記録であるかが分かる。
広坂の実績は特にモータースポーツ文化が根づいた欧米での評価が高く、遠征時はお決まりのようなフレーズでこうアナウンス紹介される。
――Fourteen times WorldChampion from JAPAN、“The Living LEGEND”Masami Hirosaaakaaaaa!!
ラジコンカーと聞いて一般的に連想されるのは、家電量販店やおもちゃ屋で売っている、構造がシンプルで乾電池などで遊べる「トイ(Toy)ラジコン」だ。しかし「ホビーラジコン」はそれとは異なり、実車のような本格的な構造で、自分で組み立てるモデルカーである。電源にバッテリーを使用し、最高峰レースでは時速100kmを超えるほどのスピードで走る“マシン”なのだ。
価格はトイラジコンが数千円なのに対し、ホビーラジコンはエントリーユーザー向けで総額約2~3万円、カーボンやチタンといった高価な素材を多用するレース用なら車体キットのみで6万円以上。他の趣味で見ると、本格的なものほど高価になるところは釣り竿やテニスラケットに似た価格帯だ。
▲ホビーRCカーのレース用1/10スケールマシン。シャシーはカーボン、ロッドやネジ類はチタンが使用され、軽量かつ高剛性。4輪独立サスペンション、オイルダンパーやスタビライザーといった実車同様のメカニズムを持ち、各部のアライメント調整も可能。ブラシレスモーターとリチウムポリマーバッテリーの組み合わせで、最上級カテゴリーでは時速100km以上を発揮する。
RCカーレースの魅力を、広坂氏はこう語る。
「何であれ、“1番になる”というのは、たいていの人は人生の中でも数少ない出来事だと思います。それが町内1位や校内1位であってもなかなかないし、その時の喜びというのは一生忘れない格別なもので、きっと『またもう一度!』と願うでしょう。私の場合、それが7歳の時のRCカーレースだったのです。一般的にRCカーというと“オモチャ”ととらえられがちですが、競技用のホビーラジコンは世界選手権も開催されており、レースでは有力メーカーがワークスチームで参戦し、世界中から集まった強豪ドライバーたちがコンマ1秒を競い合うという、実車レースと同様の熾烈な世界が存在します。RCは遠隔操作ではありますが、自分が実際に乗って操作しているような人馬一体の集中力や精神力が求められる、まさに“小さなモータースポーツ”なのです」
1986年、広坂16歳の時、アメリカで開催された世界選手権に初挑戦。しかし世界のトップとの差は予想以上で、トップ10にも入れず力不足を痛感させられた。だがそれ以上に、広坂にとって衝撃的な出来事があった。
「ある日本人選手が予選で好タイムを出したのですが、計測ミスと判定され、記録が抹消されてしまいました。日本チームは抗議しましたが、なぜか認められません。理由は何と『日本人がそんなに速く走れるわけがないから』というものでした。あまりの偏見に非常に大きなショックをうけましたが、同時に私の中で“日本人でも速く走れることを、絶対に認めさせてやる”とスイッチが入りました」
屈辱の世界初挑戦から帰国するや、広坂は猛練習を重ね、翌1987年イギリスでの世界選手権で日本人として初優勝。以降88年オランダ大会、89年オーストラリア大会と勝利を重ね、20歳を前に「マサミの時代」がやってくる。
「次第にライバルからのマークが厳しくなってくる中、戦い続ける上で何か目標になるものが欲しいと思いました。そこで調べると、競輪の中野浩一選手の世界選手権10連覇というのがあったので、それと同等になれば誰にでも認められるかなと思い、まずは10勝を目指すことにしました。また、自分が世界のトップで走り続けることで『RCはただのオモチャじゃない、世界で戦う日本人選手がいるホビーだ』と、ファンの皆さんが自信を持ったり周囲に自慢したりできるように、ホビーRCが一般に認知されればという想いもありました」
目標とした10勝は1999年フィンランド大会で達成、2004年アメリカ大会で14勝目をマークしたのち、09年5月に世界中から惜しまれつつ39歳で現役引退。以降は、競技用ホビーラジコンメーカー(株)ヨコモの社員として営業部に勤務する傍ら、世界選手権を統括する国際組織IFMARのアジア支部FEMCA役員、JMRCA(日本モデルラジオコントロールカー協会)副理事長、JRM(日本ラジコン模型工業会)理事、R.C.D.C.(全日本RCドリフト競技委員会)会長を兼務。現役30年で培った“顔”をフルに活かし、海外から来日した要人のアテンダント、レース運営やイベント企画の他、雑誌やテレビなど、国内外で幅広く活躍。RCカーの認知度をより一層高めるべく活動している。
「私は1987年に17歳で世界戦初優勝を達成した時、本当に素直に『この喜びを他の人にも味わってもらいたい!』と思いました。今もその願いを胸に、RCカーの楽しさを伝えるべく日々精進しています」
広坂正美による、RCカーの“運転をうまくなりたい人”、そして“レースに勝ちたい人”に向けた、永久保存版のムック『広坂正美のRCカー勝利への方程式』が登場! 基本的な練習方法、中級者に向けたスキルアップ術、そしてレース時の緊張に負けないメンタル面の考え方など、世界で戦い続けてきた広坂正美ならではのノウハウを集約。さらに歴代のレースエピソードと使用マシンを、本人厳選30台収録。初心者はもちろん、往年のRCカーファンにも存分に楽しめる内容となっている。
●広坂正美(Masami Hirosaka)
ひろさか・まさみ。1970年2月26日生まれ、京都府出身。ラジオコントロールカー模型製造発売元(株)ヨコモ・営業部所属。5歳の頃ラジコンカーに出会い、16歳で全日本チャンピオン、17歳で世界チャンピオンを獲得。09年メジャーレース引退までに世界選手権14勝、全日本選手権52勝の成績を残す。現在はラジコンカーの普及活動や大会運営に携わりながら、JMRCA(日本モデルラジオコントロールカー協会)副理事長、FEMCA(FarEastModelCarAssociation)役員、JRM(日本ラジコン模型工業会)理事、R.C.D.C.(全日本RCドリフト競技委員会)会長としても国内外で幅広く活動中。
(出典:『広坂正美のRCカー勝利への方程式』、Text:T.Hasegawa(長谷川貴洋)、photo:YOKOMO、K.Tsuchiya(土屋幸一))
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¥1,782(税込)
(2017.06.23発売)
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