わたしがかけ出しだった頃の話。

CLUTCH Magazine・Lightning 編集長 松島睦

私がエイ出版社の門を叩いたのは2000年の秋。経験者として中途採用で入社したので、この頃を「かけ出し」というのは相応しくないだろう。本当のかけ出し時代は出版業界に飛び込んだあたりか。新卒として入社した最初の会社に勤めて1年が経った頃、ワケあって早々に転職。その後たまたま、転職情報誌で見つけたのが雑誌編集のアシスタントだった。

編集という仕事に興味がある訳でもなく、前職を1年で辞めた「根性ナシ」を、幸運にも某準大手出版社が採用してくれたのだ。入社して数カ月は写真の整理、お遣い、編集部内の整理整頓など雑用ばかり。それでも、毎日が楽しかった。目にすることの全てが新鮮だったから。入社して4カ月が経過した或る日、編集長に呼び出された。話の内容は知っていた。先輩たちから順々に呼び出されていたので、新人である私が最後に呼ばれる頃には、会社中がすでに騒ぎになっていた。

「編集部ごと新会社に移る。当然、キミも一緒に来るよね」 早い話が会社の内紛が起こったのだ。私が選んだのは、そのまま会社に残ること。理由その1、「入社して半年も経たないうちに、また転職?」という周囲の目が気になった。理由その2、「当然一緒に来る」って決め付けられたことへの単なる反発。俺も若かった。

伝えられた翌月、残ったのは、中軸ではなかった20代の若手編集者2名、俺を含む新人2名、アルバイト3名。それでも会社は、当たり前の話だが、雑誌の継続を表明した。問題はそこから。俺もしっかりとアタマ数に入らないと本が成立しない。試用期間が明けたばかりだぞ。しかも、ハッタリだらけの面接をクリアし、未経験で採用されたクチだ。一瞬だけ、大きな不安を感じた。そう、一瞬だけ。なぜなら、不安に思っている余裕もないほどの大量のページが、アタマの上からズドンと降ってきたからだ。どんな企画かも決まってない。台割には「松島」の名前だけが記され、企画名は空欄。どうにかして「埋めろ!」ってページが数十ページ。十数ページではなく、数十ページだ。ド素人に何ができる?

できるか、できないかは求められていないことはすぐにわかった。「する」以外の選択肢はない。ひたすら、ページを作った。考えられるすべての人の知恵を拝借しながら、突っ走った。「ヘタクソなチャレンジ」だったが、無我夢中で「する」を実践した。そんなこんなでアッという間に数カ月が経過し、後輩や部下ができていた。でも、この「事件」がその後の編集人生に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。突っ走ることで道が開けていくことを知った。

ヘタクソでも、チャレンジすることが大切。普通は自分の実力の無さを知っていると、消極的になってしまう。たぶん、普通の状況だったら私もそうだったはず。編集1年生の時に、スキルや経験に関係なく、ヘタクソが突っ走れるフィールド(整備された道ではなく、あえてフィールド)があったのはラッキーだった。とっても濃いその数カ月間が俺の「かけ出し」だった頃。遠い記憶のようだけど、ほんの17~18年前のこと。いまも相変わらず、仲間や部下を率いて、みんなで突っ走っている。

profile

松島 睦(マツシマアツシ)。CLUTCH Magazine、Lightning編集長。ほか現在は「CLUB HARLEY」「2nd」などのプロデューサーも務める。

万年筆
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  • バイシクルクラブ 編集長 岩田淳雄
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  • ランニング・スタイル編集長 吉田健一
  • 出版開発部編集長 山本道生
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  • ランドネ編集長 今坂純也
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  • 暮らし上手シリーズ編集長 酒井彩子
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  • CLUTCH Magazine・Lightning 編集長 松島睦
  • CLUTCH Magazine編集主査 小池彰吾
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