BiCYCLE CLUB編集主査 鈴木喜生
高校のころはロッカーになろうとしていたんだけど、無理だな、と。大学に入ってからは、8ミリ映画や芝居のサークルに入って、そっちの世界で食えないものかと考えたわけです。カメラをいじり、照明を覚え、シナリオを書いて、演出の本を読んで、その中から自分ができそうなことを、かなり真面目に探ったわけですね。ロッカーよりはリアルな未来。同時に、アルバイトでベーカム(業務用ビデオカメラ)を回したり、テレビCMの現場で美術スタッフとして働いていました。それはバイトというよりフリーランスの域に達していたわけですが、気がつけば大学7年生。当時はそんな感じでもけっこう儲かって、食べていけたんですね。
そんなボクを見かねたのか、美術会社の親方から「制作会社を紹介してやろうか?」と、言われたんだけど(広告屋さんですね)、なんか違うなあ、と。同期の友達からも「放送作家が足りないんだけど、やってみない?」と、言われて(テレビ屋さんですね)、やっぱりなんか違うなあ……。どちらも丁重にお断りしました。 つねに何かしらの「製作現場」に身をおいていたし、何かを作って残したかったんだけど、結局どんな方法で、具体的に何を作りたいのかが定まらない。そんな20代。で、冷静に考えて、カメラでも照明でも舞台でも映像でもテレビでも広告でもなく、活字を選びました。
選んだだけではその世界に入れません。出版社に入らなければ。でも、7年目の卒業生は新卒ではないし、おまけにバブルが弾けて就職難。ということで、ある日、朝日新聞を見て、女性の広告スタッフを募集している出版社に電話して、「男ではダメですか?」と聞いてみました。対応してくれた部長さん、「面白い、来てみろ」と。これでどうにか出版業界にもぐり込めたわけです(笑)。2年後には編プロに移り、フリーを経て、エイ出版社へ。活字の世界へと腹をきめてから、版元編集者になれたのは6年後でした。
アメリカでは学生のうちからバイトして、キャリアを積んで、自分が目標とする世界に近づいていくのは一般的だと聞きます。日本もそうだと思いますよ、もう46歳になっちゃった、ボクの若いころから。すべきことを決めたら、あとはあらゆる手を使って、時間がかかっても、その世界に入り込むんです。
鈴木喜生(スズキヨシオ)。1968年生まれ。上記のような経歴を辿り、32歳でエイ出版社へ入社。ラジコン飛行機の月刊誌『RC AIR WORLD』編集部に所属。2006年から同誌編集長。2009年に隔月誌『自転車生活』の編集長へ移動。2011年に隔月誌『BICYCLE PLUS』を立ち上げる。2013年4月に月刊『BiCYCLE CLUB』の編集長を兼任。2014年4月から編集主査。愛車はチネリのスーパーコルサ。