わたしがかけ出しだった頃の話。

EVEN編集長 水上貴夫

「来年度の新卒募集の原稿を書いてください」という依頼が、人事を担当する部署からきた。テーマは〝わたしがかけ出しだった頃の話〟というのだが、新卒時にこの職業を選んだ訳でもないし、中途でこの会社に入った訳だし、そんな人間の話が何かの役に立つのか甚だ疑問だったので、編集部員の新人Kに「代わりに書いて」とスルーパスしてみた。何しろ、彼女は一昨年の新卒でバリバリのかけ出しだ。日々の事を書けば良い。

ところがその新人さん、普段から大きな目をさらに見開いて「ええ、無理です~、そんな大事な原稿書けません!」と恐れおののき、人事担当者からも「ダメです。ご自分で書いてください」と言われる始末。なるほど、頑張るしかない。

さて、ところがかけ出しだった頃といえば〝何が分からないのか、が分からない〟という状態だったので、目の前に立ちはだかる業務を慌しく乗り越えるだけの日々。さながらスーパーマリオをBダッシュで全面クリアに挑んでいるような感覚で、常に寝不足だったこと位しかあまり覚えていない。

とはいえ、それじゃ原稿にならないので、あらためて当事の事を振り返ってみるのだが、何故か失敗したことしか思い出せない。カメラマンを手配し忘れて取材に行ったりとか、10ページ予定の特集を8ページしか作っていなくて校了日に気付いたりとか、300万円もする高級時計を大理石の床に落としたりとか、浮かぶ記憶は、まあ苦いものばかり次から次へと……。段々思い出すのが嫌になってきた……。

そういえば、そんな姿を見た諸先輩は「失敗が成長させてくれるんだよ」と、言ってくれた気もする。でもそんなことは当時からすれば知ったことではなく、「この嫌な状況から早く解放されたい!」としか考えていなかった。恐らく新人Kもそんな毎日だろう。

それでも確かな事といえば、いまだに編集者をやっている、という事くらいだ。2時間睡眠が丸1週間続いても、熊本と大阪と神戸と徳島と広島と静岡の取材を2日間でこなすようなユニークなスケジュールがあっても、きっと編集者はやめない。これから先、多くの失敗を繰り返していくと思うのだけれど、この職業を続けていくだろう。編集者って、そういう風に信じられる仕事だと思う。

profile

水上貴夫(ミズカミタカオ)。1973年生まれ。建築業の営業職を経て、26歳で某ロックフェスのWEBサイトのライターに従事。その後、様々な編集部を渡り歩き、2008年にエイ出版社へ。月刊誌Real Designを製作するつもりで入ったものの、何故かEVEN編集長に就任。これが見事にハマり、気が付けば年間70ラウンドをこなし、今や1週間ゴルフをしないと「最近、ゴルフしてないな」、とのたまうGB(ゴルフバカ)となる。

万年筆
  • 2nd編集長 高橋 大一
  • CLUB HARLEY編集長 竹内 淳
  • バイシクルクラブ 編集主査 鈴木喜生
  • バイシクルクラブ 編集長 岩田淳雄
  • RIDERS CLUB 編集長 小川勤
  • BikeJIN 編集長 中村淳一
  • flick! digital編集長 村上琢太
  • ランニング・スタイル編集長 吉田健一
  • 出版開発部編集長 山本道生
  • RC WORLD編集長 佐々木雅啓
  • ランドネ編集長 今坂純也
  • Discover Japan 編集長 杉村貴行
  • トリコガイド編集長 原大智
  • 暮らし上手シリーズ編集長 酒井彩子
  • ei cooking 編集長 河崎秀明
  • CAMERA magazine編集長 清水茂樹
  • CLUTCH Magazine・Lightning 編集長 松島睦
  • CLUTCH Magazine編集主査 小池彰吾
  • EVEN編集長 水上貴夫
  • パームスカフェ店長 村田幹有
  • カリフォルニア工務店 クリエイティブディレクター 岩切剣一郎
  • THE GOLFERS CLUB店長 中川賢一
  • HOME
  • MESSAGE
  • COMPANY
  • エイ出版社TOP